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シングルマザー!?育児・介護・仕事、これからどうやって生きていこう。生きていく為にどうすれば良いのかお馬鹿な私が考えていくブログ

有賀さつきに想う

今まで猫も杓子もすなるというブログを横目で眺めながら、時には毒舌吐きながら、自分の行動や内面をさらすなんてまっぴら御免とブログやSNSから遠ざかっていた中2病気質を持つ40超えの私も、藁をもつかむ思いでブログとやらを書いてみようと思います。

こう思ったのも有賀さつきの死のインパクトの大きさです。書かずにいられなくなりました。自分の頭を整理する為にも。(”さん”の敬称はつけたいが、ここでは人物というよりひとつの名詞として扱うので敬称を略させてもらう)

有賀さつきは育児、仕事、介護、シングルペアレントに疲弊していったと聞きました。

今はまだシングルペアレントではないけれど、もう少しで私にも加わる肩書き。

介護も今はまだ大丈夫だけれど、もう少しで加わる肩書き。

育児と仕事に加え、もう少しでこの2つが私の肩にふりかかってくるのが分かっているのが現状で、逃げることの出来ない将来を想像しては嘆いている自分を救ってくれるのは何なのか。

ブログに残すことで考えがまとまるといいんですが。

 

 

 

有賀さつき、私より9歳年上のアナウンサー。

彼女の活躍はオーバー40であれば誰もが知るところであるが、あの当時の女子アナは可愛くニコニコいつも笑っていて、少しだけ喋ることが上手で、賢いけれどお馬鹿な一面があるのが良いと思われていた。

有賀さつきはまさにそれを体現していて、可愛らしい嫌味のない外見で、時にはふざけすぎるお笑い芸人を美しい声でたしなめ、でも時々は自分もミスをし、それを笑われて顔を真赤にするという可愛らしさまで見せてくれる、完璧な女子アナ像のお人であった。

 

彼女をテレビ画面で見るだけで知り合いでも何でも無いのでここから書くのはすべて私の想像であるが、女として痛いほど分かる共感部分が多すぎて想像を超えて私の中では現実に思えるようになってしまっていることを初めに付け加えておきたい。

 

彼女は小さい頃、とても良い子であった。行儀も良く、しかもあの可愛らしさだ。見た目も含めて大人は沢山の褒め言葉を投げかけたのだと思う。

周囲から褒められて、さらに良い子である自分が好きになり、もっともっと良い子になっていった。先生のお手伝いはするし、勉強もちゃんとやる、お友達とも仲が良く、人の悪口など決して言わない。やんちゃな男子の悪戯には顔をしかめ、友達が意地悪されると先生に言いに行く勇気も持つ。

正しすぎて周りは文句も出無いが、時にはそんな正しさが顰蹙を買うこともある。融通がきかないと陰口を叩く人もいる。

女性の先生は真面目な生徒だと思うが、同時に同性として心に妬みを持ち、男性の先生は心に生徒に対する愛以上の事を想像する。

彼女の美しさ、正しさに対する妬みは表面に出てきて、時に目立つ彼女を引きずり降ろそうという悪意にさらされる事もある。

どうして私はこんなに正しいことを行っているのに、周囲は悪意を持つのかしら、と自分はそういった感情には無頓着なので妬みに気付かず、悩む。しかしそんな悪意とは無縁の自分と同類の友達を見つけ、朗らかに過ごす事が出来る心地よい関係を友達と築く。

少女の美しさに男は寄ってくる。

しかし元来の真面目な彼女はモテる事で男性を利用しようとは思わない。下手な男性に惑わされる事もなく、尊敬出来る何もかも備えた相手といくつかの恋をする。

自分の元来の美しさと真面目な頑張りで狭き門のアナウンサー試験に合格する。

勉強も頑張った。変な方向へも寄り道せず、真面目に生きてきた。外見は個人的にコンプレックスはいくつもあるが、世間様は良い方だと判断してくれる。満を持して花形のアナウンサーになる。ここでもまっすぐに生きてきた自分が正しかったと思い、さらに自分を上昇させていこうとアナウンサーとして頑張っていこうと決意する。

しかしいざ蓋を開けてみると、自分にはアナウンサーとしての姿が求められていないことを即座に思い知る。

いつもニコニコして、アイドルのようにおじさま達に笑顔を振りまく事が重要であって、自分の意見など持ってはいけない。かといってマシーンのように喋りのプロになってもいけない。あくまでも可愛らしさと少しの統率力が必要とされているのだ。

真面目にアナウンサーとして勉強したいが、アイドル並みの可愛らしさを必要とされ、忙しく使われ、かつアナウンサーとしての勉強しても周囲からは認められないので、周囲に認められるアイドル性を高めることが今の自分にとっての努力の方向だと、真面目に可愛らしさを勉強する。でもやっぱりアナウンサーだからと喋りの勉強も密かに真面目に行う。

周囲は私を女子アナ扱いで、アナウンサーと認めてはくれないけれど、いつかきっと真面目にやっていれば認めてくれる人が出て来ると信じて。

学校の勉強はそれなりに頑張ってきたけれど、小さい頃から可愛らしさを周囲から認められてきたお陰で知性を磨く時間は持たなかった。だれも自分にそれを要求しないからだ。学校の試験と知性は全く別物だ。それを知らなかった。

そこでアナウンサーとして当然知っていなければならない知性の無さが露見していく事となる。

 世間はアナウンサーのくせに物を知らないと”くせに”という接尾語をつけて彼女を嘲り笑った。そこには彼女に対する妬み嫉みといった悪意が含まれていた事は確かだ。

彼女が美しければ美しいほど、朗らかに笑えば笑うほど悪意は膨張していき、黒い靄が世間という波に乗って彼女に降り注がれた。単純なミスについての執拗な嘲りが彼女に浴びせられた。

同業者からのそれはもっとひどく、女子供と侮っているおじさんアナウンサーが安心したように”こんなことも今時の若い子は知らんのかねぇ”と馬鹿にした口調で言い、同年代の女性アナウンサーは彼女のずば抜けた華やかさやアイドル性にマウンティング感丸出しで、”彼女が女子アナという概念を作った”とさも自分は彼女とは違い、ちゃんとしたアナウンサーなの、と隠語を含ませて発言した。

 

恥ずかしい。今まで真面目に生きてきたけれど、知性の無さを指摘する人はいなかった。アナウンサーは膨大な知識を元に知性を磨き上げていく必要があると始めて彼女は気がつく。

嫉妬というどす黒い感情を世間は持っていて、人気が出れば出るほどそれは大きくなることを知る。

じゃあ私はどうすればいい?そう、知性をつけていこう。この悪意から離れるためには知性をつけて、ニコニコ笑っているだけの存在から離れよう。

真面目に真面目に勉強する。女性にはこんな相談は嫌味かと思われ嫉妬されるので相談出来ない。相談できるのは会社の知性溢れる上司。性的なものは微塵も感じさせず、自分に接してくれる。そんな男性はほとんどいない。

女性に対して安全な空気を醸し出す男の喋りや態度は長年に渡り培われてきた自分の自信の無さからくる無関心だとしても、それには気が付かない。性欲バリバリの目で見られると相談も出来ないので、仕事に自信があり、知識の多い男性を尊敬する。男性自身としての自信のなさを見抜けず、ただただ尊敬し、認めてもらおうと彼の言うことを素直に聞き、褒めてもらうと至上の喜びを感じる。自分の言葉を素直に聞き入り尊敬してくれてしかも美人、潤んだ眼差しでみつめられて女性を遠ざけてきた男性はこの子は自分に恋をいしていると勘違いする。自分を受け入れてくれる女性がついにあらわれたと、自分のやせ細った獅子を奮い立たせて一世一代の大勝負に出る。

女性はそんなつもりは無かったのにと思いながらも尊敬している人物、精神的に頼っていた相手を断る事も出来ずに、ずるずると相手の欲情を受け入れてしまう。

それはあなたの勘違い、愛なんて無い、と指摘する事は尊敬する相手を傷つけてしまう悪い人になってしまうので真面目にな彼女には出来ない。

だいたいこれを断る事で長年尊敬する相手と離れることになってしまうことは何より辛い。だいたい尊敬する相手に愛情を感じてもらえるなんて、自分は成長したのかもしれない。と普通であれば生理的に男性として受け入れる事の出来ない相手でも努力で好きになろうと頑張る。尊敬する人に認められたと勘違いをする。

それはただの欲情であった。

そう知るのに時間はかからない。彼は自分を何も認めていなかった。

ただ単に、彼の知性を崇める存在が欲しかっただけで、自分を1人の確立した個を持つ人間として見てはくれなかった。可愛いだけの従属する存在であれば良かったけれど、私も成長し、ただ彼を崇めるだけの存在では無い。批判的な目を持つし、彼の自信の無さもわかってきた。

元々生理的に受け付けるタイプではない。自分の華々しい外見に見合う相手を選ぶ事で世間からまた”やっぱりね”といった嫉妬を受けるのはたまらなく嫌で、自分は外見では無く、中身で人を選ぶ人間だと思われたい。

しかし中身で選んだはずが、彼の中身は自信の無い勘違い男だった。

 

子供は女の子。今のままの自分は自信も消え失せた。子供に自分の生き方を自信を持って伝えられない。

彼から離れよう。自分に自信を持つために。誰にも頼らず、1人で生きていける女性になろう。 子供に恥ずかしくない自分になろう。

離婚してからの彼女は真面目に頑張った。仕事はなんでもやった。

ネットで検索してみると過去の自分のミスをからかう動画や書き込みが沢山出てくる。でもお母さん、それから頑張ったの、と言えるだけの努力を子供に見せ、証として漢検や英検を取った。真面目に頑張るところが何処かわからなく行き着く先が何なのかわからなくなる事もあるが、忙しく目の前の事をこなす事に全力を掲げ、努力する姿を娘に見せる事が重要だと考えた。

もう嫉妬を受け馬鹿にされてにこにこ笑っているだけの自分ではない。女性は強くならねばならない。幸いな事に年を取り、彼女に欲情を示す男性は減った。彼女によく似た美貌を持つ聡明な娘もそのうち世間の嫉妬や羨望を受ける事になるだろう。しかし圧倒的な知力をつけた女性はそんな感情も乗り越えていける。

私も頑張る。沢山の失敗をしてきたからこそ頑張る。娘には真面目に生きてきても幸せになることが出来なかった自分のようにはなってもらいたくない。

今は自分の力で立ち、幸せであると言える。しかし、毎日全力で生きていくことに疲れる事もある。泣き言は表では決して言わないが疲れた。もう50を超えている。娘はまだ思春期で、危なっかしく目が離せない。育ててもらって親ももう年だし心配だ。私が倒れるわけにはいかない。しかし疲れた。

 合掌。

 

途中から彼女と私を混同して、有賀さつきの事を言っているのか自分の事をいっているのかわからなくなりました。完全に私の頭の中で作り上げたフィクションですので本当の所はよくわかりません。

私は有賀さつき程の美貌を持ち合わせていないし、成功したわけでもないし、女の子では無く男の子2人のお母さんだし、勉強が出来るわけでもないし、行動力もありません。仕事は続けていますが完全に自立しているかと言われると色々な所に依存しているし、駄目な自分を許しまくってたるんだ腹を持ち、40過ぎまで甘えまくった結果、これから辛酸をなめていくであろう自分を呆然と眺めることしか未だ出来ない能無しの私など、有賀さつきを並べる事すらおこがましい存在です。

しかし、しかしこれだけは言いたい。

 

私達の時代は男子は技術、女子は家庭科と授業は別であった。

共学では会長は男子、副会長が女子と暗黙のルールがあった。

自分の意見を強く言う女子はでしゃばりと言って男子のみならず女子からも嫌われた。

専業主婦の親の料理や家事を手伝うのが女の子なんだから当たり前であった。

田嶋陽子上野千鶴子を良くも知らずにメディアに出て喋るのをみて、男性は生意気な女だと言っていた。

脚は広げて座っては駄目よ、女の子がそんなことをするもんではありません、と、真面目に親や教師の言うことに従ってきた。

自分の意見を持ち、発言することは求められなかったし、するとうるさいと思われた。

教師の言う問題を答えられえさすれば良かった。

疑問に思っても、余計を言うと先生の機嫌が悪くなることを感じて言わなかった。

授業を邪魔する男子達を女子が注意していた。

可愛く弱々しい事が愛される女性とされていた。

 

 思い出しても自立する考えを持たせる授業なんてひとつもありませんでした。

男性に従属する女を学校も世間も当たり前の事として育てていました。

制服のリボンをひとつも崩すこと無く第一ボタンをはめてキチッと留めていた真面目な私は、真面目に男性に従属する存在になろうと無意識に学生時代は努力していました。

政治についての論争など父親や上司にしようものなら、女がうるさい、とムッとされました。

真面目に精神的にも経済的にも男性に依存するよう、将来の旦那様を夢見て料理や裁縫の腕をあげ体も磨き上げ、真面目に男性が喜ぶ女を調べ、ちょっとエロさを残しつつの自分の意見を持たない可愛い女を目指し日々真面目に精進して参りました。物を知らなくては旦那様の出世に関わることもあろうかと、大学での一般教養を、あくまでも嗜む程度に身に着けます。性欲処理と家事労働一切をまだ見ぬ愛する旦那さまの為にニコニコと笑って受け止めようと、女は愛嬌と書かれた旗を掲げて突っ走っていました。

 

もちろん、私達の年代でもきちんと自立して生きている人もいます。世代のせいにしていい訳でもありません。

しかし真面目に、先生と親の言うことを守り、努力してきたのが事実なのです。

高校の体育の授業の時、ダンスの自主制作をする為に好きな子同士でグループにわかれました。私達真面目グループが、1人の子を仲間外れにしていると先生にひどく怒られました。見た目は三つ編みにメガネという超真面目な雰囲気を漂わせていますが、お兄さんが暴走族とかで夜な夜な集会に参加していると本人は言っていて、机に○○参上とか、夜露死苦のような文字を彫っていて、私達真面目グループともギャルタイプのグループとも仲良くなれない本人も歩み寄ろうともしてこないいつも1人でいる子でした。しかし、この課題はグループで行動しないといけないので一緒にやらない?と声をかけたところ、睨み返され無視されました。

もちろんギャルタイプのグループの子は元々相手にもせず、話しかけもしません。声をかけたけど、一緒に居たくないのだろうから無理してもね、と思い黙々と作業を続けていたら先生に呼ばれ、なぜあの子を仲間外れにしたんだと反省文を書かされました。あなたたちはずるいです、と先生に投げるように言われたのを忘れられません。

なぜ、ずるいのですか?私たちは真面目にダンスに取り組んでいたし、彼女に声をかけたけど無視をしたのは彼女。もうひとつのグループは彼女の存在なんて初めから無視しているのに怒られもしない。

先生は私達の何を見てずるいと言ったのか。好きな人でグループを作らせる方が先生としてクラスを把握せず、私たちに人間関係の構築を任せてずるいのではないか。

私たちグループは全員真面目に学校行事に取り組み成績も優秀でしたし、スポーツや勉強を頑張る人とか、生徒会等に全員彼氏がいました。学生生活を皆楽しんでいました。

先生のずるいですという言葉は真面目に過ごしてきた私にとって衝撃的でした。

表面的にいい子を演じてきたわけではない、別に裏で悪いこともしていないので、ずるいといわれる所以がわかりません。彼がいて学校生活を楽しんでいることが裏で悪い事をしている事になったのか。無理に彼女を仲間に入れれば良かったのか、真面目に物事に取り組んできてずるいと言われるなんて、わけがわかりません。

それと同じような感覚が襲ってきます。急に自立していないなんてずるいね、と世間から頬を叩かれるようです。

離婚となると今まで真面目に依存してきただけにどう生きていいのかわからなくなり辛くてたまりません。誰にもそんなことは教わってこなかったし、見本も無かった。

これを言い訳と取るのは自由ですが、現実として周囲にどれだけ精神的にも肉体的にも自立している女性がいるのでしょう。自立している人に向かって、例えば女優さん等に向かって、あの人中身は男だから、という言われ方をしますが、それこそ自立=男といっていることに他なりません。

手に職と言われる仕事を持ちますが、その世界の片隅で生きている程度、子供二人を養っていけるのか不安でなりません。

 

そんな時に有賀さつきの死を知り、彼女の真面目に生きてきた人生を想い涙します。

そして彼女の娘に対するメッセージを、現代に生きる女性に対するメッセージとして受取り、彼女の乗り越えた数々の山を苦境にある私も見習って乗り越えて行きたいと思いました。

有賀さつきの娘よ!がんばれ。

有賀さつきさん、ご冥福を祈り申し上げます。素晴らしい生き方をありがとう。今まで女性の生き方のような本を沢山読んだけれど、男性が書いたものは受け入れられなかったり、女性の書いたものはどこかきれいにまとめられすぎていたり、女性の生き方が多様化すぎて自分にあてはまらなかったりでロールモデルがなく、ロールモデル迷子でした。あなたの生き方は良い見本になりそうです。(私の頭の中のフィクションですが)

私は迷いながらもこれから来る育児、仕事、介護、シングルペアレントという生き方を模索して行きます。

そしてその模索中の頭の中を整理する作業としてブログに書き綴って行きたいと思います。